ヴァロットンは絵を描くだけでなく、版画家、新聞コントリビューター(寄稿者)、イラストレーター、小説家であり、劇団運営者としても活動した。中でも1889年から1903年まで刊行した芸術文学雑誌「ラ・ルヴュ・ブランシュ(La Revue Blanche)」での活動は、ナビ派の芸術家たちと結んだ親交をさらに深めさせる契機になった。この時から彼は肖像画と静物画の格式ある様式を打ち破り、装飾的で感情的な日常の一場面を取り上げるようになる。彼の代表作品「夏の夕べの水浴び(Le Bain au soir d’été)」(1892~1893、キャンバスに油彩、97 x 131cm)は水浴びのために集まった人々の裸体を描いた作品だ。だが鑑賞者はこの作品に奥行きを感じにくい。遠くにある人たちと手前の人たちを最小限の遠近だけで表現することで平面性を強調しようとしたヴァロットンの意図のためだ。絵の上部に描かれた斜線は、夏の夕べ、灼熱の太陽が噴き出す熱気を象徴し、絵の中心部分には水浴びの場所の内と外を隔てるレンガ塀が描かれている。私たちはそれが夏の一夜の暑さを表現したものと推し量るしかない。題名を見てここが水浴びをする場であろうと想像するだけで、実際にそこがどこなのかは定かでない。初期作の「20歳の自画像(Autoportrait à l’âge de vingt ans)」(1885、キャンバスに油彩、70 x 55.2cm) のような伝統的な作品よりは、中期以降の作品でこうした傾向を頻繁に見て取れる。
Street Scene in Paris (Scène de rue à Paris), 1895 Gouache and oil on cardboard, 35.9×29.5cm (The Metropolitan Museum of Art, New York, Robert Lehman Collection, 1975 所蔵)
現代の芸術家に影響を与えた過去の芸術家
1890年代後半に入ると、ヴァロットンは多様な木版画を制作した。極端な表現技法が用いられた当時の作品は、画家と対象の間を漂う感情の表現がより豊かに浮かび上がる。全体の画面の半分以上が黒の陰影に覆われている木版作品「アンティミテV お金(Intimités V: L'Argent)」(1897~1898、木版、25 x 32.3cm)を見ると、自然の光に人間の体が重なってできた暗い影が際立つ。親密な関係の中でどうにも気がせく男性の仕草と女性のそらした視線は、画面の陽画部分で克明に対照をなす。そして彼らの感情は影という陰画へと長く伸びることでよく表現されている。こうした表現技法はヴァロットンをある種の叙事的な語り手にした。20世紀以降の芸術家の中には彼の影響を受けた人が少なくない。とりわけ映画監督にこうした傾向がよく見られる。克明な陰影の調和により、禁じられた行為に対する熱い視線を描写したアルフレッド・ヒッチコックや、独特な色をバランスよく取り入れて彼ならではの舞台をしつらえたウェス・アンダーソンがその代表だ。また、寂しさと孤独というテーマを写実的に描き出そうとした画家エドワード・ホッパーにもヴァロットンの影響を見いだせる。たゆみなく独創的なスタイルを追求し、自分だけの新たな領域を開拓しようとしたヴァロットンが後期になってナビ派との決別を宣言したことは、あるいは当然の選択だったといえる。
米ニューヨークのメトロポリタン美術館で今年10月から来年1月まで、ヴァロットン展「FÉLIX VALLOTTON: PAINTER OF DISQUIET」(The Metropolitan Museum of Art, 2019)が開催される。英王立芸術院とメトロポリタン美術館、そしてフェリックス・ヴァロットン財団が協力。先に英王立芸術院で今年6月から9月まで催された。続いてメトロポリタン美術館のギャラリー955とギャラリー960-962で展示される。ギャラリー960は本来、ルネッサンスの版画を展示しているが、今回のヴァロットン展ではアルブレヒト・デューラー(Albrecht Dürer)の版画とヴァロットンの版画を並べ、一緒に観賞できるようにした。また、ギャラリー961と962では自然光が差し込む廊下に、19~20世紀のヨーロッパ絵画とともにヴァロットンの作品を展示する。特別にメトロポリタン美術館の所蔵品からピカソが描いたガートルード・スタイン(Gertrude Stein)の肖像画と、ヴァロットンが描いたスタインの肖像画を初めて一緒に展示する。美術史において傑出した意義を持ちながらも大衆にあまり知られていない「不穏の画家、フェリックス・ヴァロットン」の生涯と作品にスポットを当てることで、彼の人生を貫く独特な反抗の精神と意志から私たちの日常を新たにする力を得ることを期待する。