
ロッテホテルが築いたヘリテージ
あるホテルが一つの時代を経て積み重ねた歴史と文化は傑出している。韓国のホテルの歴史を築いたロッテホテルの話だ。
ホテルは非日常の世界だ。旅行やビジネス、どのような目的であれホテルでは非日常的な空間を体験することになる。良いホテルは、顧客に日常と変わらない快適さを提供しなければならない。さらに最高級ホテルなら、日常の安らぎの中で記憶に残る体験を提供しなければならないだろう。一度きりのイベントでは不可能な、ヘリテージを備えたホテルだけが感動を与え続けられる。精神的ヘリテージがシステムによって実現される場所、ロッテホテルのヘリテージストーリー。

1970年代の半島ホテルの姿
韓国で一番高く大きいホテル
韓国初のホテルは、1889年に仁川にオープンした大仏ホテルだ。朝鮮王朝時代末期に仁川港から入国した西洋人たちが、ソウルに向かう前に仁川で旅の疲れを癒やしたためだ。1901年(一部の史料では1899年)にはソウル初の西洋式ホテルであるパレホテルができ、1902年にはドイツ人女性のソンタクが朝鮮王朝第26代王の高宗から下賜された貞洞家屋跡に孫鐸ホテルを建てた。パレホテルは1912年に道路拡張工事によって解体されたとみられている。孫鐸ホテルは1918年に廃業し、梨花学堂(現・梨花女子大)の寮として改装されたが火災で焼失した。

開港期以降に韓国で誕生したホテル

半島ホテルで開かれた初のファッションショー

半島ホテルで使われていたはがきとパンフレット
その後、1914年に4階建ての朝鮮ホテル(現・ウェスティン朝鮮ホテル)が、1938年には当時最高層だった8階建ての半島ホテルが朝鮮ホテルの裏手に建てられた。半島ホテルを設立した野口遵は、現在の北朝鮮・咸鏡南道に朝鮮窒素肥料(現・チッソ)の工場や鴨緑江水力発電所(水豊ダム)を建設した大富豪だった。質素な身なりで朝鮮ホテルに入ったところ門前払いされた彼は、怒りを抑えきれず朝鮮ホテルの後ろに2倍の高さのホテルを建て、5階を事務所にして朝鮮ホテルを見下ろしたという。当時、半島ホテルはアジアで4番目に大きい高級ホテルだった。1945年の光復(日本による植民地支配からの解放)後は米軍幹部の宿舎として使われていたが、1948年に韓国政府に返還された。その後、在韓米国大使館や外国人専用ホテルとして使われていた半島ホテルは1970年代まで国営ホテルとして営業し、1974年にロッテグループに売却された。



ロッテホテルのスカイ展望台、ウインザーバー、中華料理レストランの桃林などの広報物と新館オープン前のロッテホテルの姿
ロッテホテルから始まった新時代
国営の半島ホテル時代は終わり、新時代が始まった。ロッテグループは半島ホテルの解体後、同じ敷地にロッテホテルソウルを建設した。建築費用は京釜高速道路の建設費に匹敵した。1979年のオープン当時、38階建てのホテルは韓国最高層だった。工事中には青瓦台(旧大統領府)より高くなることが問題視され、18階建てにせよという圧力も受けたが、最終的には設計図通りにロッテホテルソウルを完工することができた。

ロッテホテルの誕生初期のさまざまな資料

ロッテホテルのオープン記念バッジとサービスバッジ

ロッテホテルのレストランに置かれていたマッチ箱

ロッテホテルのさまざまな広報物
ロッテホテルのヘリテージは、建物の高さだけにあるのではない。ロッテホテルソウルはオープン当時、海外のホテルブランドとチェーン契約を締結せず、独自路線にこだわった。グローバルホテルブランドとチェーン契約を結べばホテル経営のノウハウを簡単に伝授してもらえるが、ロッテホテルは独自路線を選んだ。現在でも、グローバルホテルブランドとチェーン契約を結ばず独自の道を歩む韓国の特級ホテルは珍しい。ロッテホテルはロッテホテルソウルに始まり、韓国で最も多くの支店と客室を持つ独自ブランドだ。2010年には韓国で初めて海外支店(ロッテホテルモスクワ)をオープンし、その勢いを世界に広げた。このような歴史から始まった高いプライドと誇り、そしてそれにふさわしいサービスがロッテホテルの真のヘリテージだ。

ロッテホテルのユニホーム変遷史
レベルの高い韓国型サービス
ロッテホテルソウルはグローバルホテルブランドとチェーン契約を締結する代わりに、従業員の海外研修を行ってサービスレベルを向上させた。当時の韓国のホテル業界では前例がなかったため、新聞にも報じられるほどだった。オープン後は韓国のホテルブランドとして初めてサービスマニュアルを作成し、顧客のための最善の安らぎを追求した。海外ホテルのサービスマニュアルを導入する例はあっても、国内の状況に合わせてマニュアルを開発したのは異例のことだった。当然ながら、韓国的なサービスとはグローバルの基準を上回るものでなければならなかった。
オープン当初から市販品にはない厚手のタオルを特注し、客室のベッドは通常のものより長さ・幅ともに10cm大きくした。2006年、ホテルのリノベーションに合わせてエグゼクティブタワーのフロントデスクを14階に移転したのも、当時としては非常に珍しい例だった。1階が混み合うのを避け、静かなロビーから滞在が始まるように配慮したのだ。
オープン当初から市販品にはない厚手のタオルを特注し、客室のベッドは通常のものより長さ・幅ともに10cm大きくした。2006年、ホテルのリノベーションに合わせてエグゼクティブタワーのフロントデスクを14階に移転したのも、当時としては非常に珍しい例だった。1階が混み合うのを避け、静かなロビーから滞在が始まるように配慮したのだ。

2007年にオープンしたピエール・ガニェール・ソウルの店内
ミシュラン三つ星レストランを誘致
ホテルで楽しむサービスのうち、グルメは外せない。ロッテホテルは世界的シェフのピエール・ガニェールのレストランを誘致するため、2006年から交渉を続けた。そして2007年、ロッテホテルはついに韓国で初めてミシュラン三つ星レストラン、ピエール・ガニェール・ソウルをオープンさせる。ロッテホテルが美食家の間で名をはせた出発点だ。
ロッテホテルは顧客の心をつかむサービスを粛々と、かつ着実に発展させた。オープン30周年の2009年には顧客感動経営大賞を受賞し、それ以降も毎年受賞を続けている。2022年には韓国サービス品質指数のホテル部門で10年連続1位、ビジネスホテル部門で6年連続1位を達成した。
ロッテホテルは顧客の心をつかむサービスを粛々と、かつ着実に発展させた。オープン30周年の2009年には顧客感動経営大賞を受賞し、それ以降も毎年受賞を続けている。2022年には韓国サービス品質指数のホテル部門で10年連続1位、ビジネスホテル部門で6年連続1位を達成した。

世界的な旅行雑誌〈グローバルトラベラー〉に掲載されたロッテホテルの海外向け広告

ロッテホテルモスクワ開館(2010年)

ロッテニューヨークパレス開館(2015年)

ロッテホテルシアトル開館(2020年)

ロッテホテルグアム開館(2014年)
瞬間が思い出になる立地
ロッテホテルソウルはオープン当時、韓国最高層の建築物として話題を集めた。その後、さらなる高層ビルが各地に建てられたが、2017年にシグニエルソウルがロッテワールドタワーにオープンし、最高層記録を奪還した。ロッテホテルの高さは、物理的な側面からのみアプローチするものではない。高い場所から見える風景が顧客の瞬間を思い出にしてくれるからだ。
ロッテホテルソウルがある乙支路は、朝鮮王朝時代から韓国の経済・文化の中心だった。光化門・六曹通り・徳寿宮・南大門・西小門は韓国を訪れた観光客にとって驚きの体験になる。ロッテホテルワールドがある蚕室は、1988年のソウル五輪で「漢江の奇跡」を成し遂げた韓国の姿を世界に誇示した中心地だった。ロッテホテルワールドはホテルだけでなく、ロッテワールドをはじめとする大規模文化施設とコンベンション施設を連携させ、韓国の経済成長を実感できる場所だった。
ロッテホテルソウルがある乙支路は、朝鮮王朝時代から韓国の経済・文化の中心だった。光化門・六曹通り・徳寿宮・南大門・西小門は韓国を訪れた観光客にとって驚きの体験になる。ロッテホテルワールドがある蚕室は、1988年のソウル五輪で「漢江の奇跡」を成し遂げた韓国の姿を世界に誇示した中心地だった。ロッテホテルワールドはホテルだけでなく、ロッテワールドをはじめとする大規模文化施設とコンベンション施設を連携させ、韓国の経済成長を実感できる場所だった。

ソウルのランドマーク、ロッテワールドタワーにあるシグニエルソウル
シグニエルソウルは、韓国を総体的に印象付けるのに最適化された立地だ。米旅行評価専門誌「フォーブス・トラベルガイド」は2019年、「世界最高のホテルスカイバー」として世界の12のバーのうち一つにシグニエルソウルの「バー81」を選んだ。また、済州、蔚山、釜山の国内支店をはじめ、モスクワ、サイゴン、タシケント、グアム、ニューヨーク、ヤンゴン、サンクトペテルブルク、ウラジオストク、サマラ、シアトルまで、全ての海外支店が最高の立地で顧客の感動を実現している。
ロッテホテルソウル
住所 ソウル市中区乙支路30
電話 +82-2-771-1000
ホームページ www.lottehotel.com/seoul-hotel
ロッテホテルソウル
住所 ソウル市中区乙支路30
電話 +82-2-771-1000
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